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魏志夏候尚伝注引魏氏春秋に印相について書かれている。それによると相印書、相印経は漢代からありその鑑定法は、少なからずの流派が有ったようです。
相印書も百十二家の相法があったくらいですから、この類の書も多く書かれたのでしょうがほとんど現代、伝存していません。なお、よく印相鑑定に引用されている江戸時代の版本『印判秘訣書』は、印相の書でなく、花押の作り方を説いたものである。
また陸游の老学菴筆記に米元章は形、法ばかりに目が行き本質を失い、文字の正しからざるものは、凶相であるとし、放翁はこのようなことに拘泥することは、愚であるとしている。印相とは、印のすがたであり、それは今して現れる印影について見るべきもので、材質形状にには拘わらない。印相は雅俗良否はあっても、吉凶休咎はない。文字雅正にして品格格調の有するものは印相が良く、文字背戻し粗野卑俗なる物はよくないと、書かれている。
それでは、『まったく効力が無いのか?』いいえ、実際に効力は存在します。それは、印相体なる近年につくられた俗な文字でなく真の印章は、字法、書法、章法、刻法に通じ、刻者が心を込めて刻した美しい印章にこそ気韻が宿り、吉祥に通ずるのです。
その様に心刻された印章は、押捺する誇りと喜び、満足感を感じる。『信』を顕わす印を大切に扱い、そして、印に負けないよう使用者本人が精進する事が禍を避け吉祥を呼びこむことになります。そうした日々の積み重ねが吉祥の『喜』を累積することになり
この印章が『招福招財』の宝器となるのです。
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